昭和51年06月23日 月次祭



 生きた天地と、もうこの上もない実意丁寧一筋の神信心が、その天地の神様との生きた交流が始まって、生まれたのが金光教であります。生きたものと生きたものの出会いがなからなければ、いかに頂く信心から産みなす信心と最近言われます、産みなしていくと言う事は出来ません。お互いも生きた神様を頂いておるのでございますから、生きた心を持って信心を進めさせてもらい、生きた心で神様との交流がなされ。
 そこから生きた働き産みなす働き、しかも限りなく産みなされていくという信心を、身に付けていかなければなりません。神様はそういう一つの生きた働きというものを、目の当たりに見せておって下さるのですけれども、私共の心が生きておりませんので、それを生きた働きとして受け止める事が出来ない。神様もそういう生きた働きを生き生きとした心で、はぁ有り難いなぁ神様のこういう生きた働きの中に、お生かしのおかげを頂いておると言う事が、有り難い勿体無いというその心でおかげを。
 それでもまだ気が付かんから、御神縁を頂いたところから、神様が生きた神様を、いや生きたご自身の働きを、目の当たりに見せて下さろうとする、そういう働きかけがあるようです。そういう働きかけがありましても、まだ尚気が付かないというのが、私共であります。今日は椛目いわゆるここの元のお広前のあったところを、妹達がおかげを頂いておる。あちらの姪の今日は帰幽日でございましたから、若先生があちらへ参りました。そん時にここで今修行しとります、伊藤さんも一緒について参りましたようです。
 椛目のお広前はどうだった、あそこが椛目合楽の信心の発祥の地でもあります。というてあれも見て来たこれも聞いてきたという話しを、また私が改めてここで研修をさせて頂く時に、まぁ話させて頂いた事でございました。あの時分にご承知の方はもう本当に少ない。今この上野先生当りが、毎日しげしげと参っておった時分でございますけれども、もうそれはそれはもう不潔この上もない。
 あのここがアスファルトではなくて、あの普通の道でしたから、もう自動車が通るたんびんにも、う廊下はもう一辺にざくざくするようになりよりました。そういう中に又ハエが多かった事ね。私が御結界に付いておると、後ろの羽織にはもう汗がもうそれこそもう、てんがのごと汗ぶるぶるになって、奉仕しておりますとその後ろには真っ黒になるくらいに、後ろにハエがたかって。それでも御神前にお供えがしてある御神飯にだけは、ハエが一匹も寄り付かなかった。
 この辺ぐっと回りよるけれども、そしてこちらの方へ御霊様がお祭りしてある、その御霊様の御神飯にはもう、黒帽子をかぶせたように止まっておりました。まぁ信心のしの字もない人が、ただ椛目に参ればおかげを頂かれ、あらたかなおかげが頂けるげなと言う様な時代でございますから、やはり神様を信じさせて下さる働きというか、私がこうやってお話しをして、私がお話をしとる間に、こちらの神様の御神飯にもしハエが一匹でも止まったら、私が言う事をしらごつと思うてもええ。
 けれどもあれにハエが一匹ももし止まらなかったらば、なるほど神様が生きてござると思うて信じなければいけないよ。私が言う事を信じなければいけないよと言うて話しておりました。お話しを聞きながらこうやって御神飯の方を見る訳です、皆がねじろじろ止まらんじゃろうかと思うて、止まらんもうなんとも言えん、それは恐ろしいような神様の働き、あの当時は椛目でいろんな風評が立ちました。
 椛目では桜を使わっしゃるげなと、本当に桜をつこうておるかのようにありました。例えば私が、松岡さんのいわゆる空気銃の玉が目に入った。もうそれこそ難儀して医大に行ってレントゲンにかかったところが、手術がでけるけれども目がつぶれるかもしれない、それは請合われないと言う様な事であった。それで当時の椛目に、石井いわゆるむつやのそのお母さんがお導きで、お参りをして来て一週間目には、夢の中に手術をして頂いて、取り出して頂いてからおかげを頂いた。
 もちろん傷も消えてしまったと言う様な話しを、まぁ嘘のような話しなんですからね、ところに松岡さんがひょこひょこ参って来るんです。まぁ今ほらお話をしておった人はこの人の娘さんですよと言う様な調子でした。ですから成程当時の椛目では、桜を使うておるかのように見え、又は思われただろうと思います。いかに神様がねおかげを受けてくれよ、それには生き生きと神様ちゃ有り難いなぁ、この人が言よんなさる事は、ほんなこつじゃろうと言うぐらいに、これに感じてこなければねおかげが受けられん。
 今日私は明日から司法試験ですか、大変難しい試験が東京であります。で久保山さんところ熊谷さんところの孫が、明日からの試験が始まりますから、今日ちょっと合間にその時間割が何時間ちょっとありますから。それを私はこうやってあの出してずっとそのご祈念をさしてもらいよる所へ、福岡からお参りがあった。それがその息子がやっぱその司法試験で、第一次は通ったけれども、二次はとにかく難しい。それであんたが参りよる金光様へお願いをしてくれ、と言うたげなからというて参って来た。
 丁度私がそれを出して見ておるとこだった。だからあんたげん息子の時間割はこげんじゃろと見せたからもうびっくりしてました。自分が詳しゅう聞いておる言よりも、合楽で早く分かっとった。まぁなんとはなしに生きた働きというものを感じさせて頂く訳ですが、その方が言うのにです、伊藤さんと言います、先生この頃私の方にはね、庭に松の木が二本植わっとります。植わったちどからか飛んできて、それで太郎と次郎ちゅう名を付けた。それで松太郎と松次郎ち言いますちゅう訳です。
 ほうそりゃもう一本生えとるならまだ良かったばってんのち私が言うた。九州の信心は松の信心、桂松平先生、石橋松次郎先生、安武松太郎先生、この三松の信心が九州の信心の土台をなしておるとさえ言われるのですから、合楽では松の字をもう松の字だけでも大事にするんです。それにあんた家には松太郎が集まり、その松次郎が集まったり、あんた松太郎が集まったりたいしたこつじゃんの、こりゃあんた松平どんがあの集まるなら、そりゃもう三松があんたげには、あんた集またごたあるこつじゃないですかち、言うたら実は先生そん松平もおったげな。
 もう本当に不思議な事にね、松平、松太郎、松次郎ちゅう松のが三本あった。ところが植木屋が来てから、一本どうでんこうでん所望させちくれちゅうげね、その松平の方をやったげな。はぁもうしもうたちゅち言いよりました。ただ偶然とかと言う風には思われないでしょうが。ほりゃもう明日からなら松太郎、その松の木に一本一本名前を付けちゃる。松太郎やら松平やら、松次郎ほりゃ松次郎大明神ていうて拝まにゃならんばいというて、まぁ申しましたこつでしたけれどね。
 私共の信心がでけんから毎日お参りがでけんから、いわゆる松太郎、松平、松次郎にいわば囲まれるようにして、信心がでけるというて今日喜んで帰った。ちょうどその前後してでしたが、福岡から昨日一昨日お参りをしてきた方が、本当に神様の合楽示現活動を受けて、次から次と人が助かっていく、小さい飲食店をしておる人が、便所が大家さんの家の便所を使いなさる。それが大家さんが使わせんちいわっしゃった。
 そこでもう歯がゆいして堪えんけれども、仕方がないからもうなら家を移らんならん、そこへ合楽でおかげを受けた人がお導きをして参って来たのが、一と月ぐらい前の話しでした。いや一と月もある14、5日ぐらいでしょう。それから昨日一昨日今日参って来た人をお導きして参って来た。それがここからお願いをして帰らせて頂いたら、早速大家さんの方から断り言うちこられた。どうぞ便所は使うちくれところがもう腹の立っちたまらんもんだけんで使うちまだ返事しとらん。
 そげん先生どうしたもんでしょうか、というてお伺いに来たんです。あんた馬鹿じゃあるのち私は言いました。もう神様にお願いをしたら帰ったら、もうそげな働きを受けておる。まぁなんちゃ有り難い言じゃろうか、まぁどうぞよろしゅうお願いします、といやぁ雨降って地固まるでかえって仲良うなれるのに、それこそここでは流れ川三尺というて、例え今ここで汚い物を洗うても、三尺流れたらすきっと次の食べ物でも、お茶碗でも洗われるくらいな気持ちにならなければおかげは頂かれん。
 あげなこつ言うともう一生忘れん、ちゅうごたある人はおかげ頂ききらん。もう流れ川三尺でぱっと、そのいわばおかげの受けられない、心持というものは流していかにゃならん。そげんも思いましたけれど、まぁ辺お尋ねしてから便所を使う事に、あぁなら今度はあんたの方からこんだ断り言うて使わせてもらいなさい。そうすると今までよりか尚更、まぁ親密なおかげが頂かれるだろうと言う様な、おかげを頂いた人がお導きです。
 これが昨日一昨日参って来た。こりゃまた不思議な顔面神経痛というても、普通の顔面神経痛とは違う。どこの病院に行っても手の施しようがない。全然外には出られない。私が娘を連れて参って来い、それがもう連れて参ってこらるるごたあるならば、苦労はせんけれども外に出られませんち、風がそよっとでも吹いたらもうひらひらして堪えん。何々病院にも行った何々病院にもいった、けれどもらちがあかんで、まだ二十歳まだ嫁入り前の娘ですから。
 まぁそういうおかげの受けられると言う事で、昨日一昨日お願いに来た訳です。そしたら今日その娘ば連れて参って来た。ほらおかげ頂いたねおかげ頂いた、いっちょんおかげ頂いたちゅう顔しとらん、しっぱりまぁくして、それこそびき小便ばりかけた顔しとる。もうお話しとってもですね、しっぱらまぁくしとるなら、お話しされませんですよ。コンクリの上に水撒くごたあるこつですから。
 はぁそうですかそうですかと、もうしらごつでんこう首でんこうこうしよるならね、話しよかばってんから、ほんなまぁしらぁん顔しとるならね、もうぐらぐらするですよ。ほんにこげなおかげ頂いて、そしてから私のお話聞いてしまうちから、その娘がですね、外に出て風に当たってんどうにもなかげな。それからその病院に行ったげなら、もう神経は元に戻っとると医者から言われた。
 それだけお礼参りともなんとも分からんけれども、とにかく娘先生あなたがこの頃娘ば連れて参って来いち、言いなはったけん連れち参って来たという感じなんです。それでなら神様のおかげを受けておる実感をですね、頂かせないとほら次のおかげになってまいりませんから。それで昨日ここであのう5つになる娘さんが、心臓に穴がほげてある。お願いに来てそして手術をしょうごとない。それからお願いをして一週間ばかりして病院に行ったところがもう心臓穴あほげとったち。
 そればってん人事のごとある顔しとる。そうして私はどうかしてその、いわゆる生きた心を起こさせようと思うけれども、生きた心が起こるものが一つも感じられんでおるところへ、それこそ助け船のように、今日はあのむつやの信司さんの、弟の嫁さんのお母さんが、親子四人連れで参って見えた。してその話しをすぐ側で聞いとってからです、私の方の長男がです、心臓に穴がほげていよいよ手術をせんならんというので、お届けをさせて頂いたら、いよいよ手術をする段になったら。
 れがもう塞がっとったというおかげを頂いた事、もう何年前の話しですけれど、そういう話しをその方がしてくれたんです。それから初めて感動が起こったようですね。不思議なもんですよ。それこそ神様がいわば桜を使うてござるごたる感じ。だからならその顔面神経痛の神経が、もう元に戻っておかげを頂いとる、これからがおかげを受けなければならないから、これからお話を頂いて有り難い信心生活に入らなけけりゃな、というて今日はまぁ帰りました。
 生きた神様の働き、天地が生きてござる、小天地であるところの私共の心もまた、生きてこなければ信心になりません。生きたものと生きたものとが出会う時に、初めて交流が始まるのです。今日はテレビ見よったら犬が猫産んだちいうテレビのありよった。いやほんな言よ。それこそ越える事の出来ない一線を越えた訳です。というてま説明をしておる訳ですけれども、現代医学ではそげな事は猫と犬が一緒になったちゃ、そんなものは生れんちゅう訳です。ばってん事実あんテレビん出とった。
 だからそういうものが産まれては出来ませんけれどもです、お互い私と神様との間に、本当の交流が始まって、生きた感動と生きた感動が触れ合い、そして接しあいそこからもういうならば、只今神様と恋愛中と言った様な境地が開けてきて、しげしげと合楽通いが楽しゅうして、有り難うして堪えんというごとならなければ、本当のおかげは頂かれません。先ほど幹三郎はあれは私の三番目の息子ですが、医者から肉腫と言われて、もう肉腫癌なら助かる、まだいくらか率があるげなけれども肉腫で助からない。
 もう99パーセントは駄目だと言われる程しの重態、自分なもちろん金光様の先生なんかになろうちおもとらじゃったけれども、おかげを頂いて全快のおかげを頂いた時点から、高校を中途で後何ヶ月間で卒業できるのを高校辞めて、そしてそのまま学院行きをして、教師の資格を頂いて帰って来た。只今お茶の稽古に通います。はぁ中々優雅なもんです。もうどげん忙しかったちゃ、御祭りを二三日前もお祭り行かにゃん、家内と一生懸命させて頂いたら、丁度お父さん釜に火が入ったから一服どうですかちゅて来た。
 で家内があんた馬鹿じゃなかの、こげな忙しかとこでち言われよる。いんねいんねそんなら一服頂こうかというて、先生方三人ながら茶室に行ってから、お茶を頂いて本当に好きこそ物の上手なれ、実に綺麗な手前を致します。そしていわゆるお茶の精神を段々体得するだけじゃなくて、第一行儀が良くなりますね。信心でもそうですよ。信心させて頂いたら信心にならなければ駄目です。ころっとやはり変わらにゃ駄目です。
 例えばならあのう先ほどあの私の一番下んとが今日は、賛者に出ておりましたが、装束付けちからまだこればかぶったままで、賛者服を着たたらもう実におかしい。かというてなら賛者服を身に纏うたら、またこれをかぶらなければおかしいて堪えん。信心させて頂いておってです、その信心の頂き方が悪いとおかしいです。だから自分たちの信心というものが、日頃頂いておる教えというものがです、どの様な風に生活の上に現れておるかと言う事を、いつも教えの鏡に照らしての生活でなからなければ。
 本当の信心生活とはありどんが信心なしよるばって、と言う事になって来るですね。幹三郎がここで話しておりました。歓喜の一生でありたい喜びの一生でありたい、無常の風は時を嫌わぬというけれど、金光大神の道は無常の風が時を嫌わすぞと教えられるほどしの事、いうならばこういう運命にもう定まっておっても、その運命を有り難い良い運命に吹き返すほどしの、力のある神様を私どもは頂いておるんだと言う事を言っとりました。最後に結んでおりました。
 例えそれを世間ではです、本当にそれは無常の風かのように見えるけれども、それを神情として神風として、受けられるような信心を頂いた時、初めて私共の生きがいある信心生活が出来るのだと、いう意味の事を話しておりましたですね。もう私は一番口に拍手喝采を送りました。素晴らしいです。例え世間で見たらです、それは無常の風のように見えるけれども、もうすでに信心のおかげを頂いて、それを神風として受けられる心の状態こそ、私は歓喜の生活だと思うです。喜びの生活だと思うです。
 今朝の御理解に木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼を言う様な心持になれよと、自分の都合の良い言だけにはお礼を言うけれども、自分の都合の悪い言には、お礼が言えないと言った様な事ではです、木の切り株に腰をおろすと言う、もう一つ深い意味の言にはなってこないです。自分が楽をした、例えば電車なら電車、バスならバスで一杯のとこで人から席を譲ってもろうた。そりゃ立つ時にはどうも有り難うございましたとこう、言うけれども。
 それとは反対の事、ほりゃもう若けもんがそばん坐っとったばってんね、変わりましょとも言いわじゃった。今時の若けもんばっかりは、腹かいてから婆しゃまがここで怒る。あの研修会の時にあの敬親会のとき、乗ってきた自分がほらあんたここ来る道々腹立てて来たばいの、ちゅうちから言うた言でした。もうとにかく席を年寄りに対して、ゆずらじゃったちゅうて腹かいて、いまん若けもんばかりはちゆちからね。腹かいとんなさる。そう言う様な事ではいけんのです。
 もうそれこそ痛い事痒い事一切それを神風と受け、神愛と受けさせて頂き分からして頂いたら、痛いけれども有り難いというお礼が言われん事はない。そういう世界を目指していくと言う程しの信心なのですから、日々これに身近にそれこそ神の中を分けて通りよるような、実感というものがないならば、やはり難儀は難儀としてだけしか、受け止める事がでけません。
 今朝の御祈念今日も参っておられますが、久留米の稲垣さんの息子さんが、鹿児島の大学に行っとります。あちらに弟さんがおられます。その弟さんが鹿児島教会にお参りされる。毎日朝参りを自動車でなさっておられる。ところが昨日の朝の朝のご祈念にお参りをしよる途中に、その十字路で横から超スピードで走ってきたトラックに撥ねられてから、もう自動車はめちゃくちゃもうこう跳ね飛ばされた。もう本当におかげとしか言われないと言う事は、その飛び撥ねられるときにその頭が御神米をこうあのしてある。
 そこへその頭が当たった。あれがもし御神米でない他のところにいっとったら、眼鏡が割れるとかどうかしてそれこそ、怪我ぐらいしとっただろう。それからその叔父さんという方は少し怪我が、まぁたいした怪我と言う事、程しの言じゃないけれども、まぁ怪我をしてたとま大難を無難同様でおかげ頂いた。もうもちろん自動車は買うたばかりの新車でしたそうですけれども、もうめちゃめちゃになったというお届けがありました。
 今日はちょうど午後の奉仕のときに、日田の綾部さんがお参りして見えた。娘さんが今日からあのうお産のために病院に行きますから、あちらへやらしてもらう。ですから大祓い式にお参りが出来ないかも知れないからというので、もう大祓いのお供えとお初穂と今日持って見えて、そして一年中に十何台かの車が、本当に合楽に御神縁を頂くようになって、事故一つ起こさずにおかげを頂いておるという、お礼のお届けがございました。7台にい1台は事故が起こると言う事になっておるそうですね。
 計算づくで言えばもう十何台の車が、しかも毎年毎年無事故で無事でおかげを頂いておると言う事は、それこそ日頃の信心にもよる事ですけれども、大祓いの時にあの車をお払いをして頂く様になってこの方、おかげを頂いておるというのです。いよいよ30日はその大祓い式がございます。沢山な何千台の車の一年間にお払いをさせて頂きますけれども、本当におかげを頂きます。本当に生きた神様をそこに見るような思いが致します。そういう神様をお互い頂いておるのでございますから。
 そういうおかげを頂かなければ、いよいよ本当から本当の信心を求めていかなければなりません。今度教団では御取次ぎ成就信心生活運動新発足、だから拝詞が廃止になって、祈願詞を今度は奏上するようになりました。三百枚ばっかりもろうてきとけば良かろう、ちゅうたところが、足らんけんでまた昨日は千枚いうてあった、こりゃもう玉水さんでん泉尾さんでん、そげん千枚はもらいにきなさらじゃった、どうして合楽は千枚もいるかと言う風に言われるかと思ったら。
 大変お繰り合わせ頂いて、千枚貰い受ける事がでけた。そっでまず五百枚先に送るからというて、電話がかかったそうでございますけれどもです、そう言う風な一つの過度、過度期というか金光教が新しく飛躍しようとする時期にございます。いろいろな思いつきというか、いろいろな運動の中に、いわば寒中修行とか夏季修行というのが全廃になりました。全廃という訳ではない廃止になりました。例えば夏だけいわば寒いときだけ、朝参りをすると言った様な事は間違いだ。
 いつもが同じでなからなければならないという建て前からだそうでございますけれども、それは本当の本当の事が分かった人達の事であって、まだ合楽あたりのよちよち歩きの信心の場合はです、その本当の事の分かる事のために、やはり夏季信行いわゆる寒中修行は、やはりやらせて頂こう、それこそ日頃お参りがでけんでも、この六十日間だけは日参がでけるというところがみそです。みんなそれこそ夏の修行暑い盛りですから、昼の一時からもうそれこそここがたぎるような勢いで皆さんが、総ご祈念をなさいます。
 そのご祈念日参をした事のない人が日参をして日参の有り難さが分かって、だんだんお参りがでけるようになる人たちも沢山あります。そういう意味でです結局だから、本当の一歩手前かもしれません、本当ではないかもしれません。そりゃ皆んなが毎日朝参りでもするというのが本当かもしれませんけれど、なかなかそこが出来ません。そこでせめて修行中だけなっとん、日参をさせて頂こうかと言う様なところから、本当な信心を分からして頂くという、いうならば真理の追究というのでございますから。
 本当な真理というのは一つではない。真理から真理を本当から本当な事を追究していくための、今過程にあるのが合楽の皆さんだと思います。法則は絶対一つであります。法則を覚えて天地の道理を体得して、道理に合った生き方、法則におうた生き方をする、真理を求めていくいわゆる、本当からより本当を求めていくところに、より本当のおかげが頂けると言う言にもなる訳であります。
   どうぞ。